愛され、褒められ、にしっくりこないのは。
- norikokagawa
- 4月5日
- 読了時間: 3分

福岡の男子たちの分析をしていてとてもしっくりきた仮説があるのですが、それをネオ九州男児と名付けましたメイクアップアーティストが福岡より20時をお知らせいたします。
かなりしっくりきたのでこのお話はまたどこかで聞いてください。
さて、そんな勝手にご当地人間観察を欠かさないこの頃ですが、そういえばこんなライフスタイルなので『〇〇(エリア)のボーイフレンドにしてください』と本気度はさておき何度か言っていただいたことがありますが、そういうことはしない派ですがご提案はありがたく頂戴いたします。
本題に戻しますと、今朝のInstagram記事にも少し関連しますが、メイクはいったい誰のためにするのか問題。
atelierR も私個人も
『メイクは自分のためにするもの』
の姿勢一択なのですが、とはいえ、誰かに素敵と思ってもらえるのは嬉しいことで、多少なりともその気持ちは確実にあるので、自分のためではあるものの、他者からの評価はやはり無視できないなと。
優先順位の問題なのだと思っています。
1・自分のため
2・周りの人たち(自分が好きな人たち)からの評価
3・それ以外の誰かからの評価
この1・2のためにメイクしますが、3は可愛く無視でいいと思っています。
どう思われてもいい人のことまで考えてメイクなんてしようものなら、なんの魅力もないメイクになってしまいます。
万人ウケを狙った瞬間に、誰からも愛されなくなるというあるあるです。
とはいえ、多少はやはり他者からの評価は無視できないわけです。
と、そんなことを考えていたわけですが、それでもなぜかモヤモヤするワードが確実に存在しました。
それは
『愛されメイク』
『褒められメイク』
です。
受動態の表現であることからも分かるように、これらは完全にハンドルが他者にあります。
誰かに愛されるためのメイク
誰かに褒めてもらうためのメイク
実にしっくりきません。
自分の意思で決めたメイクが、結果として誰かに褒められる、愛される、のならまだOKであっても、それが目的になるなんて、背筋が凍るお話です。
大きな声ではいえませんが、それならまだこっちの方がスッキリします。
『愛させメイク』
『褒めさせメイク』
活字にすると怖いのでキャンセルします。
ですが、遠からず。です。
メイクにしても何にしても、主語はいつでも『 I 』でありたいものですね。
と、言いつつも、冒頭のネオ九州男児のお話と関係するのですが、私はこう見えて(どう見えて)ボーイフレンドに3歩下がって着いて行きたいタイプなので、人間とは矛盾と言いますか複雑な生き物だなと思った福岡の夜でございました。
あなたの矛盾は何ですか?
それでは今日も1日お疲れ様でした。
noriko
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