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atelierR -episode ZERO-

  • 2月11日
  • 読了時間: 4分



 

こんばんは。


今夜は、atelierRについてのお話を。





今更ですが自己紹介を兼ねて、atelierRについてのお話を。


atelierRは、2015年10月1日、私の生まれ故郷である徳島で始まりました。


気がつけば11年目になりますが、まずはatelierRが生まれるに至ったお話を。




私のメイク人生の始まりは、“たまたま“ でした。


子供の頃は地元徳島ですくすく育ち、大学は大阪にあります関西大学法学部政治学科へと進みました。



よく指定校枠だと思われているのですが、一般受験です。


一般受験をドヤっているのではなくその逆で、私の母校である公立高校は、指定校推薦が多い事で有名な高校でしたので、結構な生徒たちが指定校推薦を利用していました。


が、日々の素行が良いわけではないnoriko少女には指定校推薦はもらえそうにありませんでした。


(ヤンキーでもギャルでもないのに、普通にちょっと素行が悪いという絶妙に惜しい女子高生でした。)


そして、3年生の春、自分には指定校というカードは配られていないという事に気づいて、仕方なく受験勉強を始めたのでした。


当時はなりたい仕事などもちろんなく、なんとなく関西のいい大学に行きたいなという残念な目標に向かって勉強に励みました。


そして関大ならどの学部でもいいと思い、おそらく文系のほとんどの学部を受験して、当時一番偏差値の高かった法学部を選んだというのが実のところです。


端から端まで残念な受験生でした。


そんな感じで入学するものですから、お察しの通り早々に学問よりも遊びに夢中。

ボーイフレンドに夢中、バイトに夢中、サークルに夢中。

今思えば大変残念な4年間を過ごしました。



法学部とは、案外ほとんどの学生が一般企業に就職します。

商社・メーカー・金融が一番多かったと思います。公務員もいましたね。


法律家や政治家を目指す人たちはごくわずかです。


私も金融機関に内定をもらい、ゆるくOLをする予定だったわけですが、卒業を控えたおそらく年末ごろに急に、自分の進む道ではないと思い始めたのです。



そして内定を辞退。辞退するもそんな時期に改めて就活など無謀だったわけです。

大学の職員さんたちに、法律事務所の仕事をなどを斡旋されるも、全く興味もなく。



ここから私のフラフラした1年が始まります。




しかも、大学を出てフラフラするというと、“ワーホリで海外にいって自分探し“みたいなものならいいものの、大阪のカフェに就職してみたり、友人の務めている会社にバイトに行って見たり。ここでもまた残念なフリーター時代を迎えます。

(再度言いますがヤンキーでもギャルでもありません。)




そんな生活にも飽きてきて、一旦地元徳島に帰ることに。

(正しくは強制送還)



手に職もなく、第二新卒みたいなわけでもなく、23歳にして




『人生詰んだな』




とはっきりわかりました。



そして実家に居候をし始め、とりあえず何か仕事を探さねば気まずすぎる・・・


と、バイト探しの感覚で新聞の求人欄を眺めていたところ


『美容部員募集』


を発見したのでした。




あのキラキラの仕事か。わたしのような太った地味な女には無理だろうとスルーしましたが、考え直しました。



『いや、この田舎の百貨店ならいけるかもしれない』


と、当時の百貨店には大変失礼ですが、当時の私はそう思ったのでした。


ちょっと見に行ってみよう・・



数日後、地元にある唯一の百貨店の化粧品売り場を覗きに行きました。





おお〜おばちゃんしかおらん。



これならいける気がする。





と、さらに失礼ですが当時の私はそう確信し、エントリーしたのでありました。










長々書いてしまいましたがatelierR  episode ZERO


でありました。



こんな感じでゆるっと始まった私のメイク人生も、気がつけば人生の半分近くを過ごしております。

今もこの仕事が天職だと言い切れる自信はありませんが、機嫌よく生きております。


人生とは、何が起こるかわからないものですね。





美容部員になってからのお話は、また次に







それでは、また。
















 
 
 

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